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毎回帰省するたびに、親父とかなり長時間話をします。
いつもの事なので特に変わった事では無いのですが、今回は戦時中の話を結構たくさんしたので、日記に残しておきたいと思いました。

第二次世界大戦

親父は戦争を知っている世代です。
丁度、旧制中学生で学校に通っていたそうです。
当時親父は、岡山県上道郡西大寺町(現:岡山県岡山市東区西大寺)に住んでいました。

戦争中には、学徒勤労動員として岡山県から愛知県名古屋市の戦闘機製造工場に製図の勉強の為に来ていたそうです。
方向は覚えていないけど、名古屋城が良く見えたそうです。
しかし働き始めて数ヶ月後に大地震に遭遇しました。
昭和19年12月7日「1944年東南海地震」です。
自分の周りでもたくさんの人が亡くなったのに、全く報道はされなかったそうです。
日本国に不利になる事は全て報道されない世の中、当然の事でした。
「すぐ近くの工場で動員されていた女学生がブロック塀の下敷きになって百人以上亡くなったのに、全く報道されないなんて!」と今でも怒ってました。
これで働いていた工場も潰れ、すぐに岡山県に帰ることになったそうです。
「帰るなら伊勢に詣って帰ろう!」と仲間と伊勢参りをして帰ったそうです。

この後、岡山大空襲を西大寺から直に目撃したそうです。
岡山市へ向けて超低空飛行で飛来するB-29の大群。
上空で花火のように炸裂し落ちていく焼夷弾、燃え上がる岡山市内・・・
この空爆で1700名以上の市民が犠牲になり、市内はほぼ壊滅しました。
後日行った街は、ガレキと亡骸に覆われていたそうです。

昭和20年8月15日の玉音放送は、全校生徒が校庭に集められ校内放送で聞いたけど、ノイズが酷くて全く聞こえず、直後の授業で敗戦を知ったとの事でした。
戦争が終わったのか・・・が感想だったそうで、周りの人達も特に大きな感慨は無かったそうです。
「番組とかで良く見る泣き崩れる人とかいなかったの?」って聞いたら「そんな人、私の周りにはいなかった」そうです。

その当時の事について、私が驚いたのは
日本が戦争で負けるのは絶対に言ってはいけない「公然の秘密」だったそうです。
無線を傍受している人がいて、だいたい事実を知っていたとか・・・
だから当然、新聞記事に書かれている事、報道が全てウソだと分かっていたそうです。
まあ、B-29が頭の上を飛び回っている時点で気付かない訳が無いという・・・。
それと、B-29はよく墜落していたそうです。
深夜に超低空で集団で爆撃しながら飛ぶから、さもありなん。

それと戦争中、そして終戦の日、その後・・・
空襲が無くなった以外で市民生活に大きな変化は無かったそうです。
終戦すぐに学校も再開されました。
その最初の授業は、教師に指示された教科書の場所を墨で黒く塗りつぶす事だったそうです。


戦争中の記録は、いろいろな事が消されており曖昧な事が多いです。
今報道されている事自体も、視聴率が取れる方向へ、雑誌が売れる方向へゆがめられている可能性があります。
本当の事実は、薄れていくものかもしれません。
でも真実は残さなければならないと思いました。
消えないように・・・

そして、命の危機がすぐそこに毎日ある、恐怖の世界にしないように・・・
世界中で今もおこっている戦争が無くなりますように・・・

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【2010/01/04 22:46】 | 日記
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